シリア内戦視察 第4話 (拘束の生活) | ♪ HARUNAのブログ ♪

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男装の麗人川島芳子とHARUNA(遥菜)のブログ

前世で行った場所を初め、色々な場所に訪問した時の
紹介ができたら良いと思ってます♪


拘束されてからある意味、一段落と言うか少し気持ちに
余裕がでた。常に緊張と目的達成の事しか考えていなかった
ので、丁度良かったかもしれない。


ここまで夢中で前進したので気が付かなかったが、よく
ここまで来たと自分でも感心していた。来れた事が不思議
にも思えた。後に普通では難しいと説明され、私もそう思った。


司令部本部は国境付近のセーフティーゾーンと呼ばれている
安全地帯にある。安全地帯とは単に空爆が無いと言う事。
周りの状況は紛争地域そのものだ!


司令部と言っても自由シリア軍は50名ぐらいの組織が、
いくつも点在しており、普通の軍隊の様に一括で組織化して
いるのとは異なる。各地域、組織ごとに作戦を立てて戦って
いるのだ。


日が暮れる頃、とりあえず尋問が終わり兵士達と食事をとれ
と言ってきた。とりあえず上手く行ったのかな?
兵士達は何処から来たのかとか色々聞いてくる。僕は日本
から来た。(ヤバーン)日本人(ヤバーニ)と話すと割と
兵士達は好意的。その数10名ぐらい。


しばらくするとアジア人らしき兵士が来た。僕は思わず、
『おっおー』と言葉がでた。驚いた!彼も驚いた様子。
しかし日本人ではなく韓国人みたいだ。僕は英語で『何処の
出身ですか?(Where are you from?)』と尋ねた。


その韓国人らしき彼は英語が話せた。良かったぁ♪
彼は日系韓国人で、父が韓国人で母が日本人でユーゴス
ラビアで生まれたらしい。そしてヨーロッパに長く住み
日本には半年住んで居たと言う。しかし片言の日本語が
話すだけでほとんど忘れたらしい!日本語での会話不可。


まさかシリアで日本単語が訊けるとは思わなかった。
そこで彼とは以後、自由シリア軍グループ全体と人間関係を
作るきっかけになっていく。


夜になったので彼の宿屋(部屋)で寝ろと言う事になった。
マジ!良かった良かった。とりあえず様子を見ている感じ
ではあるが最悪なシナリオは避けられた様に思えた。


帰国まで色々な事が有ったので、日系韓国人の彼の名前は
忘れてしまった。ここでは仮に『パク・パクサン』とでも
付けておこう。(パクパク、さん)と分かりやすいし。


それからパクさんとは夜中まで英語で色々な会話を続けた。
3時頃まで話し、寝る事にした。


翌朝起きた時は既に10時。皆よく寝るなぁ~。僕は途中
目が覚めたが皆寝ている様子で、僕は2度寝していた。

起きてから気が付くのだが、この司令部には牢屋が4ヵ所あり、
そこの中には投獄されている人が居ると言う。囚人は麻薬の
売人2人、マフィア、政府軍捕虜の合計4名。
外観から窓が無く、中は過酷な状況に見えた。


僕はそこには入れられなかったんだ!ホッとしたが、いつ
移動されるかもしれないと思うと、ある意味ストレスを
感じるので、牢屋の事は考えない事にした。


しかし囚人が出る時がある。それは尋問をする時だ。その姿は
毎日目にするのだが、あまり良いものではない。囚人を目に
する時は、自分も管理されていると思うと気持ちが良いもの
ではない。この辺は少し省略する。


拘束中、絶対忘れてはいけないのは、時間と曜日感覚。
これを忘れると狂うきっかけになる。僕はその事を知っていた。
気を付けていたがしかし、1日誤差がでてしまう。


彼ら兵士は合計50名の組織で10名1週間交代で前線に行き
戦闘をしているとの事だ。パクさんは戦闘で横っ腹を撃たれ、
横っ腹から右のお尻から銃弾が抜け、1ヵ月間トルコの病院に
入院していて、退院したばかりとの事。パクさんはしばらく
拠点で静養している最中だったのだ。


2日目初めて見る男性が来て、僕はまた尋問室へ。この男性は
片言の日本語を話していた。『私日本に住んでた。6人の友人
が日本に居る』とそして次に話した彼の言葉に僕は驚いた!


『ジャーナリストの後藤健二を知っているか?』僕はもちろん
知っていると答えた。明日シリアに来ると言うのだ!僕は
二ヤけた♪マジ?やったぁ♪僕が日本で会いたかった人の一人。
まさかシリアで会えるとは運命としか考えられないよぉ!
だって会える確率的に万に一つだよ!


(※しかし僕は第六感と言うか、後藤健二さんとは日本に
居る時からシリアで逢う気がしていた。それが今回現実に
なった。)そして後藤さんとは来週東京都内で再会する。


その頃になると大分、兵士達ととても仲良くなり、冗談を
言ってじゃれあったり、若い時の友達同志みたいな感じだ。
そこには友情みたいなものが生まれ始めていた。


ある夕食の時、テーブルで彼らの唄を歌って聞かせてくれた。
何とも言えないアラブの唄で変に感じるが、声はキレイ♪
僕に何度もしつこく日本の唄を聞かせろと進められたが、
カラオケ無しでソロで歌うのは嫌なので、ずっと断っていた。


しかし断れない雰囲気になり、僕は仕方ないミリタリーソング
を(Military Song)歌うと言い、『海行かば』を歌った!


これを戦地で歌った瞬間何とも言えない想いが込み上げてきた。

この唄は不思議な魅力を持っているかもしれない。
この感覚はちょっと伝える事ができない!


友情みたいなものが生まれると、小銃や拳銃も持たせて
くれるようになり、これは完璧に疑いが晴れた瞬間でもあった。
怖い物知らずの僕に対して、彼らは僕の事をサムライと呼んだ。


(※残念ながらここの施設での撮影は禁止。撮影禁止の場所は
以後、病院など複数有った。唯一部屋の中で撮影した物がある)



(写真左:これが日系韓国人パクさん)

そうなると兵士の一人が難民施設の家族に会いに行くので、
一緒に行こうと僕は誘われ、バイク3人乗りで、国境の難民
キャンプに行った。この時やっと外出できた解放感で嬉しかった。


難民キャンプはユニセフのテントなど全く無い!ホント
募金で支援をしているのかねぇ?まず僕は最初に感じた。
まっ、募金の50%は経費で無くなると聞いているので、
不思議ではない。役員の肥やしになっているのでは。
現場の人員はボランティアで人件費がかからないだろうし!


兵士の家族の中に生後間もない赤ちゃんが居た。その子を
僕に抱かせてくれると言うので、抱っこさせられた。僕は
この瞬間感じた!戦争の中、生命があると言う事が、胸に
伝わってくる。初めての感覚で驚いた。これまで日本で
赤ちゃんを抱いても感じた事がない感覚であった。


※シリア内戦視察 第5話 (トルコ戻りと最前線)に続く

(ミッション失敗の危機と最前線)


はるな