方向音痴な言説

地図・ナビゲーションにまつわる俗説を取り上げます

『話を聞かない男、地図が読めない女』 (4) − 空間能力と地図

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 書籍『話を聞かない男、地図が読めない女』文庫版(以下、『話を〜』と表記します)では、しきりに「男は空間能力に優れている」と連発しています。『話を〜』で言う「空間能力」は、「空間認識能力」「空間認知能力」「空間把握能力」など様々に呼称されていますが、ここでは『話を〜』の呼称に倣い、「空間能力」と表記することにします。
 『話を〜』では、空間能力についてこう定義しています。 

 対象物の形や大きさ、空間に閉める割合、動き、配置などを思いうかべること、それが空間能力だ。さらには、対象物を回転させたり、障害を回避しながら進んだり、立体的にものを眺めるといったことも加わる。標的の動きを見きわめて、攻撃のしかたを決めるのが本来の目的だ。 〔『話を〜』p156〕

 オーソドックスな定義であり、特に問題ないでしょう。ただ、

標的の動きを見きわめて、攻撃のしかたを決めるのが本来の目的だ。

と、何がなんでも狩猟に結びつけようと無理をしていることが伺えます。 

 狩猟者である男は、遠くにいる獲物を追跡するため、注意がそれないようもっぱら前方が見えるように進化した。女の視野が広くなったのは、忍びよる捕食動物をいち早く見つけるためだ。 〔『話を〜』p43〕

 男の視野は狭いが、女は広いんだそうです。著者が何を元にこんなことを言うのかよくわかりませんが、ひょっとして、ライオンなどの肉食動物は顔の正面に目が付いていて視野が狭く、ガゼルなどの草食動物は頭部の側面に目が付いていて視野が広いことからの安直な類推でしょうか。人間は、性別を問わず、目は正面向きに付いているのですが。
 そして、男女の視野の広さの差を裏付ける実例として挙げられているのが、なんと! 男は冷蔵庫の中のバターを見つけられないのに、女はすぐに見つけるというもの。いや、それは単に、普段料理をしない人は、冷蔵庫の中に何が入っているのか把握していないだけってことでしょう。自分がいつも使っている机の引出しであれば、少々乱雑でも目的物をすぐ探し出せるのに、他人の机の引出しの中はよくわからないのと同じこと。まあ、著者の論理に従えば、自動車のボンネットを開けたとき、男はすぐ目の前にあるバッテリーの端子を見つけられないのに、女ならすぐに見つけるんでしょう、きっと。
 因みに、視野が狭いと、深刻な道迷いを起こしやすくなります。 

また、冷蔵庫のバターとジャムの場所など、規則性のない位置関係をちゃんと覚えていられるのは、エストロゲンというホルモンのおかげだ。 〔『話を〜』p45〕

 テストステロンは空間能力を向上させるが、女性ホルモンのエストロゲンは逆に空間認知能力を抑制する。 〔『話を〜』p227〕

 なんだか矛盾したことを言っています。それとも、エストロゲンは一般に空間能力を抑制するが、例外的に、(冷蔵庫の中の物など)特定の位置関係を把握することのみ向上させる超特異的働きをするホルモンなのでしょうか。 

 アイオワ州立大学の心理学教授、カミラ・ベンボウ博士は、一〇〇万人以上の少年少女の脳をスキャンして、空間能力を調べてみた。その結果、男女差は四歳にしてすでに顕著であることが判明した。 〔『話を〜』p136〕

 一研究者が百万人以上の脳を調査! 『話を〜』には、他にも到底信じ難い数値がちょくちょく出てきます。探して突っ込んでみるのも一興でしょう。大体、

脳をスキャンして、空間能力を調べてみた。

って、CTだかMRIだかの画像を見て判断したってことですかね。それで空間能力がわかるとは、大した心眼の持ち主です。このあたり、元研究自体があれなのか、『話を〜』の著者が、元研究を理解できずに脳内合成した話なのか、よくわかりません。 

 地図を読んで理解するには、空間能力が必要になる。これは男が最も得意とする能力のひとつで、脳をスキャンすると、右脳の前のほうに拠点があることがわかる。狩猟者である男が、標的の速さや動き、距離を見定め、獲物に追いつくにはどれくらいの速さで走らねばならないか、石や槍を使って獲物をしとめるときにどれくらいの力が必要か計算するために、大昔から磨きをかけてきた能力だ。 〔『話を〜』p135〕

 「男は空間能力に優れ、女は言語能力に優れている」という意味のフレーズが、『話を〜』においては頻繁に繰り返されます。上記引用箇所を読めば、著者は空間能力を大層に捉えているらしいことが伺えます。しかし、実は空間能力なら小鳥でも持っています。一方、ヒトの祖先が言語を獲得したのは、脳の大型化がかなり進んだ段階になってからです。空間能力 だ け で地図が読めるものではないのですが、『話を〜』では、空間能力のみが取り上げられています。さらに信じられないことに、経験・訓練が徹底的に軽視されています。先進国においては、わずか百年前の男より現代の女の方が圧倒的に地図が読めることを、著者はどう説明するのでしょうか。 

テストステロンを投与されると、地図や市街図を読むのが楽になる。 〔『話を〜』p220〕

 地図を読む訓練を施すことで、地図を読むのが楽になるとばかり信じていましたが、間違いだそうです。テストステロンを投与すればいいそうで、正に目からウロコです(←棒読み)。様々な交絡のある人間の行動や能力を、単一ホルモンで説明してしまう考えは、もう随分批判を浴びてきたはずですが、相変わらずこの手の説は俗流科学として幅をきかせています。

 空間能力が優れている男は、頭のなかで地図を回転させ、どっちに進めばよいか判断できる。しかもその情報を蓄積しておけるので、あとで元の場所に戻ってくるときは、もう地図を見なくてもよい。南に向かっているときでも、地図を北向きのまま読むことができる。しかも地図を頭に入れて、それをたどることもできるし、速度や距離を適切に判断して方向を変えることもできる。男は窓のない部屋にはじめて入ったとき、北を正確に言いあてる。遠くまで狩りをしに行った男は、そうやって家の方角を見つけないと生きて帰れなかったからだ。 〔『話を〜』p138〕

 著者の脳内(だけに存在する)男について語っているらしき文章ですが、現実の男との関連はほとんど無いとみてよいでしょう。いずれにせよ、著者は地図の見方がわかっていない上に妄想癖のあることが如実に現れています。

南に向かっているときでも、地図を北向きのまま読むことができる。

 まるで正置をしないのがエライと謂わんばかりの書き方ですが、風景と照合しながら地図を読みこなしたことがないから、正置の重要性が理解できないだけでしょう。
 どうも著者は勘違いしているようですが、地図はナビゲーションするために読むものです。決して、「空間能力に優れた俺様スゲー!」と自己陶酔するために読むものではありません。ってか、自己陶酔するのは勝手ですが、そういうことは開陳せずに一人で黙ってして欲しいものです。見苦しいので。

しかも地図を頭に入れて、それをたどることもできるし、

 常時地図を見続けるわけにはいかないので、地図を頭に入れておくことは当然必要です。ただ、それ以前の段階で勘違いしている人に対しては、やはり頻繁に地図を見た方がいいよと助言したくなります。

速度や距離を適切に判断して方向を変えることもできる。

 出来もしないことを簡単に出来るかのように思い込むのは、単に何もわかっていないからに過ぎません。「速度や距離を適切に判断して方向を変える」ことがどれほど難しいか、ホワイトアウト・ナビゲーションをしてみれば痛感するはずです。「速度や距離を適切に判断」することが難しいからこそ、自動車でのナビゲーション航空機・船舶でのナビゲーションでは、計測用の計器が導入されているわけです。

男は窓のない部屋にはじめて入ったとき、北を正確に言いあてる。

 さすがにここまでくると、あっちの世界に逝っちゃったとしか言いようがありません。なぜコンパスが必要なのか考えれば、こんな妄言は出てこないでしょう。誰か暴走列車を止めてください。

遠くまで狩りをしに行った男は、そうやって家の方角を見つけないと生きて帰れなかったからだ。

 遠くまで逝っちゃって迷走し続ける人でも、淘汰もされずに生き残っています。 


 動物学者の研究では、オスの空間能力が優れているのは人間にかぎらないという。迷路脱出のテストは、オスのラットのほうが得意だし、前にきたことのある水飲み場を見つけるのはオスのゾウがうまい〔後略〕。 〔『話を〜』p143〕

 あれだけ「男は狩猟をしていたので空間能力が発達した」と繰り返していたのは何だったのでしょうか。ラットもゾウも狩猟はしませんが。
 読者の方々もとっくにお気付きでしょうが、『話を〜』の著者の理論は、少しも体系付けられていません。その場その場で、目先の都合だけでいい加減なことを書いています。自分に都合の良さそうな話であれば何にでも節操無く飛びつきますが、結局、飛びついたあの話とこの話の整合性が取れなくなっています。

 ……まだまだ続きますが、長くなるので一旦ここで切ります。 



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